マンデルチーゲルの伝来
マンデルチーゲルが日本に伝来したのはそんなに古い話ではない。
本高砂屋は昔は「きんつば」が主力の純和菓子屋であったが、ある時、洋菓子に進出することを考え、オーストリアに職人を派遣した。修行を終えた職人は、神戸大丸の地下に「シェーンブル・デア・ジョリカ」という店を開いた。
その店では、それまでどこでも見たことがなかったオーストリアの菓子、豆板ではあるがその豆にアーモンドを用いた「チーゲル」を売っていた。断言するが、これ以前に日本のどこかにチーゲルがあったとは思えない。
ジョリカは、当時の神戸でも有数のケーキのおいしい店であったが、前述のように、実は本高砂屋のアンテナショップであり、チーゲルは「マンデルチーゲル」として量産されるようになった。ちなみに、ジョリカで売っていたチーゲルは、マンデルチーゲルよりもっと大きく、湾曲していて、いかにも手焼の感じがしていた。
大丸地下のジョリカは早くに無くなったが、もう一軒御影に店があり、そちらは震災のときに無くなったと聞いたように思う。
D.P.Zのライター 乙幡啓子さんのブログに「マンデルチーゲルの人」という記述があったのでたまらずトラックバックです。記憶に頼って書いているので、誤りがあれば是非ご指摘ください。
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